そりゃ家族・家族様の結びつきは素晴らしいですよ。
だから恋人をつくったり結婚したり、かけがえのないパートナーシップを築くことが人生の大きな目標になったりもする。
だけど45歳を過ぎた今。
密接で濃厚で、距離が近くて率直で。
そんな人間関係はもうほとんど残っていないのが実情です。
母親くらいなもので。
母親とだって、1日に接する時間を昔よりずっと少なめにしてから喧嘩はほとんどなくなった。
前は実家に泊まって、丸2日一緒にいたりして。
そんで帰るまでに何かしらの言い合いになることはしょっちゅうだった。
今の母親は要介護1状態で、頻繁に会う日数を増やした分、滞在時間を短めにした。
お昼だけ・夜だけ一緒に食べたりとか。
そうしないと自分がもたないということもある。
自分の健康も相手の健康も、そして何より互いの関係が良好であることが大事で、そのためには「距離を取る」ことが現段階ではベストということ。
体力のある若いうちは、限界ぎりぎりまで頑張ってたかもしれない。
40代の今、頑張りすぎるとすぐ心身がガタつく。
そのおかげで、「ここまでしかできない」という割り切りができてるとも言える。
母親と距離を取るうち、母親の方でも私以外の世界を楽しもうとしてることがわかる。
リハビリに週3通う母は、そこで新しい人間関係ができていることをすごく誇りに感じるらしい。
少し前の自分なら、娘・子どもが常にそばにいることが老いた母の幸せなんだと思い込んでいた。
だから距離を取ろうとする自分に罪悪感が湧いたりして。
母親の件もいずれ綴っていくかもだけど、とにかく家族というのは人間関係のひとつである、それくらいに突き放せる・そうしていいんだと認めたら、すごく楽になった。
母娘、夫婦、姉妹などなど、そこにやたら濃厚な意味づけをして、それで満たされたのと同じくらい、つらさも体験した。
「親友」もまたしかり。
誰かを親友と位置付けることによって、「自分は彼女にとって特別じゃないのか」と、かえって思い知らされることにぶち当たったりする。
関係濃厚マウントが幅を効かせた時代は本当に長かった。
自分の人間関係がとても薄味に思えて寂しくなったり、逆に濃厚さから離れたい気持ちに罪悪感を抱いたりもした。
けどこれからは、人間関係脱・濃厚ムーブメントが起きるんじゃないですかね。
個人の幸せ・他人の尊重がいかに大事かっていう声が年々高まっている。
苦しさに正直になっている。
とてもいいじゃないですか。