家族も人間関係(3)


家族だって人間関係。
その人間関係の理想形は、互いを尊重し合うこと。

なのに、いつの間にか誰かに勝手なルール変更をされてたりする。

「〇〇だから△△してもいい」

年下だから言うこと聞かせてもいい。
立場が下の者だから威張っていい。

これらは今じゃ社会的に大きな問題となりやすいけど、家族内でのこととなると、傷害や殺人に至って初めて明るみに…というくらいまだ閉鎖性がある。

擬似家族のような濃厚な関係でも、立場が下と位置づけられた人がないがしろにされることはよく聞く話です。
例えば「従業員だから奴隷並みの働きさせてもいい」とか、「パートナーだから束縛してもいい」、「同居人だから軽んじる態度を取ってもいい」などなど。

例えば〇〇を「友達」「同僚」、はたまた「上司」とかに入れ替えるだけで、「いやいや、それは失礼、ナシでしょ」という非難が即飛びそうなもの。
なのに家族や濃厚な間柄となると、不思議と周りが干渉しにくいバリアが張られる。
「そんなもんかね」と放置というか、様子を見ようとしちゃう。

しかも自分が下の立場・軽んじられてる側にいる場合も「こんなもんだろ」と、事を小さく収めようとしがち。
本当はひどいショックを受けても悔しくても自分のせいと責めて、自分さえ柔軟性を身につければ状況を好転させられるはず、なんて健気に思っちゃう。
そうして「なかったこと」にされてきた被害や侮蔑ってどれくらいあるだろう。

年末年始も近づいてきたけど、「嫁だから水場に立たせっぱなしでもいい」「女たちがやってくれるから、自分は食べたらすぐ横になってもいい」とか、理不尽が詰まりまくった長年の当たり前ルールにまみれる日がいよいよ近いということ。
年末年始こそねぎらってほしいのに、年末年始こそ「家族だからいいじゃん」と重労働が課されたりする。
家族であろうが濃厚な関係性であろうが、人と人が関わればそれは人間関係。
大事な友達に何かを上から押し付けたり傷つけたりしないのが普通であるなら、家族にもパートナーにも同じルールが適用されるはずなのです。




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