マスターいつものお願い


よくドラマなどであるシーン。

登場人物が行きつけのお店に入る。
「マスター、いつものお願い」
と注文。

そのうちに「お疲れー」と常連が次々入ってきて
気の置けないおしゃべり。
本当にそんな世界があるんだろうか。

一人暮らし当初。
私も新しい地でそんなシーンを期待して、
お気に入りのお店を定めてみたことがあった。

マスターはいい人で、「また来たんだ」とは言わない。
私への質問もほんの少しずつといった感じ。
常連が来れば、さりげなく私も会話に交ぜてくれる。
心の拠り所にできそうな気がした。

でも行かなくなったのは、
「あの人またいる」
と思ってしまったから。
元からいる常連に、新参者として加わるのに気が引けたというか。
また、あるときのことを思い出した。
マスターから、
「このメンバーで日曜にカラオケ行くんですけどどうですか?」
と誘われたとき、急に心が重くなったんだ。

「そういうのには参加しない常連」をやってみてもよかったんだ。
でもなんか、特有の内輪話にまたついていけない事態が面倒と思ったり。
少し参加したい気持ちがあったのに勇気が持てなかったこともある。
そもそも自分はあまりお酒を飲めないので、お酒が好きな人特有のノリに戸惑うこともある。

めんどくせぇなってのが本音。
地域のつながりを求めていたのに、平日昼とかに街のスーパーで顔を合わせたりするのも面倒だった。

そういえば、職場の同僚や知り合い程度の人と街なかで会ったとき、ガン無視されたことは1度2度じゃない。
単に気づかなかったのかもしれないけど、「私を見ないようにする強固な意志」を感じ取った。
同じ理由なのかな。私の面倒さと。

私のほとんどを開示しないと、常連と街なかでも親しげに話すなんでできそうにない。
所詮、自分の一面しか見せられなくて、その他はクローズすることにエネルギーを注いでいる。
そのクローズ部分を知り合いに見られるのが嫌なのかもしれない。
地域でつながりを作っておけば、「最近あの人見ないね」という地域の輪が救いになることがあるらしい。
憧れるけど、ハードルが高い。
実現方法が自分の勇気にかかってるんなら、まだ相当難しい。




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