縁と孤独感


「本年をもって年始のご挨拶は遠慮させていただきます」

今年は幾人かに年賀状終了のメッセージを送った。
もう10年以上会ってない人や、そもそもろくにお茶したことも、本音の付き合いでもないような幾人か。

確かにいっときお世話になった。
だけど数年仕事を教わった人に、その倍以上の年月かけて礼儀を尽くすこともないんじゃないか。
年下の私から言い出すのは非礼としても、もはやそう非難される間柄でもない。

そんなこととっくの前から思ってても年賀状を送り続けていたのは、30代のうちに結婚すると思ってたから。
そのお知らせをいつかするだろうと思っているうちに40になり50も近づく。
もういいだろ。

本当は全知り合いに年賀状ストップしようと思ってた。
大体LINEつながってるしね。
でも、さすがにこのへんは段階的に決断していこうと思った。
もう少し歳をとったときに感慨が変化するかもしれないから。

それでも、もう会わないかもしれないと思う人もいる。
年賀状には毎年「今年こそ会おうね!」と書き合うも、なぜ会わないんだろうとは考えない。
でも見つめないようにしている理由はある。
会いたいという気持ちにならない。


何十年も知り合いで、何度も顔を合わせてきた。
縁があったんだろうと思う。
孤独になるのも嫌だった。
今じゃ会って話すこともない感じ。
相性がよくないのかもしれない。

昔は「縁と孤独感」が会う理由になった。
「今ヒマな人いる?会おうよ」
「さびしい。誰か遊んで」
そんなショートメールを恥ずかしくもなく送ってたころも良い時代だった。
孤独感を「みじめ」と説教されるのも楽しかった。
充実自慢を聞かされて、今度はこっちが文句垂れる。
間違いなく友人だったのに、あの時代を共有した人と会いたくないと思ってしまう。
もう説教されたくないし、充実自慢も聞きたくない。
今もそんなわけないのに、塗り替えられない思い出。

友達を強い言葉でなじった、なんてことはどの友達との間にもある。
それでも会いたいと思える人と、会いたいと思えない人。
長い関係性の中で「丁寧さ」「尊重」を自然と取り入れられた相手とは、以前と違う深い信頼が築けている。
それは縁と孤独だけでつながる関係とは違う。
縁と孤独だけでつながるのもいいんだけど、インスタントでさ。
ただインスタントって残らない。
やけに寒風がしみるから、あんな虚しさは味わいたくないということ。
花火のようなパッとした楽しさは心身にこたえるんだよな。
だったら孤独でいいです、というくらいは強くなれたということかな。







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