大期待人間


「人にされて嫌なことは、しない」
「人に迷惑をかけない」
を人生のモットーにしているような人ってあんま信用したくない。

というのは、この2か条は誰のベースにも備わってると思うから。

そりゃ誰だってそういう生き方をしたいよ。
頭でわかっててもそうはいかないことがある。それが人間。
なのにこの2か条を得意げに前提から切り出す人は信用したくねぇなぁ。

人は誰でも安心して迷惑かけられる相手を求め続けるものなんじゃないか。
「人」とかいって、私なんだけど。
かつてそれは親だった。
家族の誰かだったりとか。
成長するにつれて、その相手を外に求めるようになる。
親友、恋人、配偶者、先輩などなど。

相手に自分を委ねたいという大きな期待。
それは叶うものなんだろうか。
というのは、私は相手への期待値が高い人と関係が長く続かない。
一方、長く続く相手にはあんま期待しない。
期待スケールが10としたら、長く続く相手には2とか3くらい。
用件によって4とか5にはなるかもだけど、期待値の高い相手には7とか8とか時に9とか。

期待値が高いというのは、寄せる感情が濃いということ。
・恋愛感情
・親友願望
・怒りやストレス

恋人だったらこうしてくれるはずなのに。
親友だったらわかってくれるはずなのに。
相手が大好きだから相手にもわかってほしい・受け入れてほしい。
相手が大好きだから相手の嫌なところには目をつぶる・相手にもそうしてほしい。

この期待とか相手に頑張って合わせるところがやがて大きなストレスになり、自爆という形で関係が破綻するパターン。
関係を濃厚にしたい私の目的といえばいつでも「わかってほしい・委ねたい・安心したい」だった。
しかし、最近それはとてもリスキーと感じ、「良好関係を安定的に継続すること」が目的となった。

そうすると、これまで寄せていた「大期待」という願望はどこへゆくんだろう。

今その問題は保留中だ。
「大期待を叶えられる相手を探す」というのが30代までの願望だったとして、「そんな人はいない」もしくは「いたとしても関係がすぐ終わる」ことがいまさら自覚されたのでね。


今クールの「きのう何食べた?」はすごくファンタジーに見えてしまう。
シロさんとケンジの関係は今までになく強固なのはいいけれど、当初あったマイノリティー性の不安定さはどこにもなく(そこに今まで心を寄せていた)、男女でも相当難しい濃厚信頼関係を築いている。

ケンジもシロさんも、相手にむやみな期待を寄せるタイプじゃないけど、「安心して委ねていいんだぞ」という私の理想の大期待が次々クリアされていくストーリーを目にするたび、自分の世界と大きくかけ離れた、この世のどこにもない理想みたいに見える。
直視できなくて「ながら見」するような。

ということは、結婚とか子どもとか苗字とか、そういうんじゃないのでは?ということも浮き彫りになるような。
誰と誰の間にも不安定さはある。そりゃ違う人間なんだからね。
あの2人はその繊細さをとにかく大事に守ってる。
何より「尊重・敬意・感謝」なんだと教えられた物語だけど、大期待のあたりは自分ごととして警戒して見ている。






コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です