人間関係って、いい時とあんまよくない時がありますね。
ひとえに私の心持ちの問題と思うけど、今はいい時。
自分の中の警戒心があんまない時というか。
同じ人でも、やたら警戒しちゃう時がある。
その人がトゲトゲしてるのか、私がその人の何かを気に食わないのか。
ともかく今は相性が悪いみたい。
互いのバイオリズムの問題と思う。
だけど私はいつでもビクビクしてて、それが表に出ないよう振る舞っている。
人間関係がいい時というのは、私のビクビクが誰にもバレてないかのように、いろんな人に話しかけられる時。
話しかけられれば友好的に応じることはできる。
自分からは行かない。
行く人は相当、心を許している人。
昔は苦手な人こそ自分から行っていた。
質問魔になればコミュニケーションが成立すると思ってたけど、今はもう頑張らない。
頑張ったのに空疎な会話だと、どうせまた悩む。
悩みの種はできるだけ作らないことにした。
ストレスが子宮や卵巣を直撃してる気がして。
人間関係があんまよくない時というのは、病的に人を怖いと思っちゃう時。
病的にといっても妄想的ではない。
過去に嫌なコミュニケーションの記憶がある相手。
急にムカつく矢が飛んできたりとか、言うつもりなかった愚痴を引き出されたり、会話の後死にたくなるような相手。
総じてトラウマ級の苦しさがある。
人はトラウマを避けるようにできている。
機嫌が定まらない人も恐怖だけど、「私を嫌わないで」という信号を送ってくる人はもっと怖い。
「嫌わないで」の人はいつもニコニコしてて、私に「頑張ってるね」の声をかけたいためにいろいろ質問してきて、苦労を私から引き出そうとする。
でもその人の方がずっと苦労してる話になり、結果的に「自分はたいした人間ではない」ことが死ぬほど思い知らされる。
だからなるべく近寄らないんだけど、その人の魂胆をいつも考える。
「頑張ってるね」と言われたいのはその人であり、死にたいほど苦しいのもその人だろう。
私にとって人間関係がいい時というのは、しばらくトラウマと縁がなさそうな時。
「トラウマでもなかったな」とホッとできた時。
話したいと思う誰かと駅まで帰るのも楽しいけど、それより何も起きなかったときのほうが安心できる。
昨日は黄色信号な日だったけど、なんとか乗り越えましたね。
ほとんど人と会わない週末に入ることができた。安心。